みなさんこんにちは。
当レンタルオフィスSOFiE周辺には、お江戸日本橋の当時を偲ばせる昔ながらの町名がいくつも残っています。時代劇でも耳にしたことのあるような町名もちらほら。今回はここSOFiEが位置する「日本橋本町」をはじめ、周辺のいくつかの町名の由来をご紹介しましょう。

・「日本橋 本町」(にほんばし ほんちょう)
 江戸時代初期、徳川家康が最初に地割を行った地で、「本町」という町名は、江戸の中ではじめに造られた「おおもとの町」という意味です。「江戸本町」の名称で、江戸を代表する町として名高い場所でした。1590年(天正18年)に町地として開発されて以降、寛永の頃にはすでに京・大坂より大店が進出し、商業地域としては大いに発展を遂げていました。江戸城内から、常盤橋、日本橋本町を通り、浅草に至る「本町筋」は江戸時代から明治初年まで、江戸、東京のいわゆる目抜き通りでありました。

・「日本橋 室町」(にほんばし むろまち)
 徳川家康による1603年(慶長8)の江戸開幕から間もなく開発が進められた「日本橋室町」。その地名は、京都の中心地として栄えていた「室町」に由来するという説と、また、商家が多く集まっておりその土蔵(室)が立ち並んでいたためという説があります。大勢の漁師たちがこの周辺に移住し、江戸湾で獲れる新鮮な魚介類を販売する魚市場も軒を連ねました。また交通の要所でもある「室町」は、町家としても発展し、多くの商人たちが呉服問屋などの店を構え、江戸最大の繁華街として栄えました。

・「日本橋 本石町」(にほんばし ほんごくちょう)
 この地はもと「石町」(こくちょう)と呼ばれていましたが、第4代将軍徳川家綱の寛文年間に、神田に「新石町」(しんこくちょう : 現在の内神田三丁目・鍛冶町二丁目)が出来たので「本石町」と呼ばれるようになりました。「石町」という町名は、古くは米穀商が多く集まっていたことから、穀類を数える単位の石に由来するとされています。三丁目には長崎から将軍謁見のために来るオランダ商館長カピタンの定宿、長崎屋がありました。

・「日本橋 大伝馬町」(にほんばし おおでんまちょう) 
 江戸時代最古の町名のひとつ。江戸時代この地の名主である、馬込勘解由(まごめかげゆ)という人物が家康の命を受け、伝馬役を代々請け負っていたことに由来します。伝馬とは江戸時代の制度で、人や荷物を馬に乗せ、次の宿駅や目的地まで運んでいく制度のことです。

・「日本橋 小伝馬町」(にほんばし こでんまちょう)
 「大伝馬町」に隣接する「小伝馬町」の地名の由来もまた、伝馬に由来するものです。「大伝馬町」に対して、扱う馬の用意が少なかったことから「小伝馬町」という名になったといわれています。
「大伝馬町」が街道での宿継を行うのに対して、「小伝馬町」は江戸府内での伝馬御用を務めていたそうです。

・「日本橋 馬喰町」(にほんばし ばくろちょう)
 「大伝馬町」「小伝馬町」に隣接する「馬喰町」にはその馬の仲介業者が住んでいました。幕府の馬労(博労)頭高木源兵衛、富田半七が居住し、この地にあった馬場を管理していたことに由来するそうです。馬労(博労)とは牛馬の売買を行う仲介業者のことです。高木家が名主となったことで、この町は「博労町」(ばくろうちょう)と呼ばれるようになり、正保年間(1645-1648)に「馬喰町」となったということです。


・「日本橋 小舟町」(にほんばし こぶなちょう)
 江戸の初期からの町で、江戸時代は船荷問屋が多く集まり、賑わっていました。江戸湊の一端の荷揚場的役割を果していた町です。慶長8年(1603年)の町割のときは「下舟町」といいましたが、享保5年(1720年)に西側の大船町に対して「小舟町」としました。江戸の湊口への物資輸送に大いに利用されたため、小舟町西の河岸を小舟河岸とか鰹河岸と呼び、かなり重要な役割を果していたようです。

・「日本橋 堀留町」(にほんばし ほりどめちょう)
 東堀留川が「堀留町」の南端部で止まっていたことが、町名の由来となっています。「堀留」とは、川を上流から埋めていき、下流部を埋め残し水路としたものです。 江戸時代以降、東堀留川、西堀留川など、運河の水運を利用して、諸国物産を扱う船荷問屋が多く集まり、富くじで知られる椙森神社の門前町として賑わいを見せていた町です。 旧日本橋小舟町の一部を吸収合併し、現在の形になりました。

・「日本橋 人形町」(にほんばし にんぎょうちょう)
 江戸時代、この地には歌舞伎小屋の中村座と市村座があり、浄瑠璃や人形芝居も行われていて、これらを見に来る客で大変賑わっていました。その客に土産の人形細工を売る店が多くなり、この通りを「人形通り」、その付近を「人形町」と呼ぶようになったといいます。1933年(昭和8年)、正式に「人形町」という町名になりました。

いかがでしたか。日本橋が付く町名はまだまだありますし、隣接する千代田区神田にも興味深い古い町名が残っています。また機会がありましたら町名の由来をご紹介したいと思っています。

 

※当文章は下記サイトを参考とさせていただいております。
東京都中央区HP  町名由来
https://www.city.chuo.lg.jp/kusei/syokai/tyomeiyurai/index.html